Ar18-37:墓標アルカディア
墓碑銘の中で死が言っている。
ET IN ARCADIA EGO.
われもまたアルカディアにありき。
南国思想には程遠く、翡翠の玉座も花もないが、ここは正しく墓碑銘の底の理想郷《アルカディア》。
これは、貴方の死を取り戻すための旅。
▲▼▲▼
ふと気がつくと、貴方は見知らぬ館の扉の前に立っていた。
ここがどこなのか、どうしてここにいるのか?
想起を試みるたび頭に響く鈍痛から、諦めて目を背ける。
振り返ると、黄昏の斜陽にきらきらとする芝生を、ぐるりと囲む塀は高く鋭利。外へ繋がる門には頑丈な鎖が絡まり、錠がかけられ、庭から出る事は叶いそうにない。
門のアーチには共同墓地《coemeterium》の看板が、鏡文字に揺れている。
ーー知らない事は他にもあるような?
それにしても、思い出すという行為すら忘れてしまったのだろうか。
不安を払い、惹かれるように目の前の扉を押し開く。
「おはようございます。気分は如何」
斜陽の頃にしてはずれた挨拶だ。驚きよりも先にそう思った。
扉の前には、小さな少女が立っていた。
シンクブルーの髪。灰青の瞳。黒のワンピース、赤い靴。奇妙な世界で、いやに現実味を帯びた色彩が、貴方を待っていた。
「わたしはシサン。貴方はどなた」
促されるまま、貴方は名前を告げる。
「ええ、それは正しく貴方の名前。待っていましたよ」
ーーここはどこなんだ?自分は、どうしてここに?
「死神は貴方を捌くことができませんでした。ここは、腑分けされなかった魂が辿り着く場所」
ーー魂?死神?
「貴方はおそらく死んだのですが、貴方からは、その死の事実が失われているのです。そうでしょう?」
その通りだ。死んだと言われても実感がない。
最期の記憶はすっかり抜け落ち、それ以外にも、記憶の欠落を自覚する程度には、自分に残されたものは少ないのだと思い知る。
そういえば、思い出すことに先程のような痛みはなかった。
怪訝な貴方をよそに、少女は言葉を続ける。
「しかしこれは僥倖でもあります。シュレーディンガーの貴方よ」
死んだという証明がされないのなら。
例えパンドラの箱がもう開いていて、その中で猫はすでに死んでいたとしても。
その毛皮の下に隠れた貴方は今はまだ、死んだ生きネズミであり、生きた死にネズミでもある。
「だからまだ間に合います」と少女シサンは、言う。
自分自身の死の事実を見つけることができれば。
猫がどけられて、ネズミの生死が暴かれてしまう前に、箱の底から這い出す事は可能だ。と。
「ですから、貴方は取り戻さねばなりません。ーー貴方自身の死を」
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